「結婚ってなんだろう?」と最近思います。昭和生まれの自分は「オトコに尽くすことが女の幸せ」という昭和の頃に大人になった世代。「幸せな結婚」を夢見ながらまあまあ、ほぼ理想の人とは結婚して23年。平成、令和と過ごしてきて周りに感化されたか?時代に乗っているのかがわからないけど考え方も全く変わってきます。頼りがいがあるのが決め手で夫と結婚したのに今では「なんて手がかかるの?オトコって子供」と思うようになったり「オンナって損」「なんで家事は平等でないの」など不満やストレスが溜まってくる。同じ価値観だから結婚したのに長く生活すると意見の違いや考え方の違いがあってケンカとなり口も聞きたくなくなります。そして「一人になりたい、一人になれたら」と思うのです。平成生まれの若者たちはあまり結婚願望がないみたいですね。それが正解だと今になって思っています。自分の若い頃は「週末婚」が新しいカタチとして話題になった。今令和になり「別居婚」といったものが出てきた。それぞれの住まいを持ちながら独身の時と変わらない生活を送ることらしいのです。2人とも仕事とライフスタイルが自立していながら、でも婚姻関係を結ぶ。少し前まではそのスタイルに少々疑問を持っていた。籍を入れなくともパートナーとしてでいいんじゃない?と思ってた。でも最近はなんとなくその「別居婚」の意味もわかってきた。相手を信頼し、失いたくない、互いに困難をずっと乗り越えていきたいと思っているからでこそ?かもと思うようになった。ぶっちゃけ今の私には羨ましすぎるスタイルですね。できることなら今からでも、とバカげた考えになることもある。自分より上の世代の人たちでも子育てが終わった夫婦が仲はいいけどお互いのしたいことの為に別居することもあるようです。「男は仕事」「女は家庭を守る」スタイルはもうとっくの昔に終わってる。「男女平等」って言葉が一番好き。今からでも何でもこなせる自分になりたい。
優しい歌声に涙心の掃除ができました。
まさか自分が、精神的にも肉体的にもストレスを感じていたなんて。体調を崩すまで信じられませんでした。
2004年の4月に、期待に胸を膨らませて進学した大学は、私のイメージと違っていました。
最初はすぐになじめるだろう、小・中・高とみんなとうまくやってきたのだから、すぐに友達ができるだろうと思っていました。
しかし、何が間違いだったのか。なかなかクラスになじめなかったのです。
そして2005年の1月、ぷっつりと糸が切れ、大学に行けなくなってしまいました。
クラスになじめないことを気にしないようにすればするほど、心が悲鳴を挙げていたのでしょうね。
高校の頃からホームページを持っていた私は、日々の出来事を日記にしていました。大学になじめなくてつらい気持ちを書いた文章を読んだ友人が「おすすめの歌手がいるんだ」と無料ライブに誘ってくれました。
彼女の名は奥華子さん、出身地である千葉県船橋市の近隣で弾き語りスタイルの路上ライブをしていて、そこから有名になった人です。
トレードマークの赤井メガネがよく似合う、優しい声の人でした。
そして歌詞が心に響き、一目ぼれならぬ「一聴きほれ」してしまいました。
その年の7月、彼女はメジャーデビューを果たしデビュー後に発売されたアルバム『優しい花の咲く場所』は今でも私の宝物です。
『帰っておいで』という曲を聴いていたら、突然涙が止まらなくなり夕食の味噌汁が涙のせいでしょっぱかったのを覚えています。
『帰っておいで』というタイトルと優しく包み込むような歌詞が、乾ききった私の心を潤してくれました。
あの時、友人がライブに誘ってくれなかったらずっと悶々としていたでしょう。
もしかしたら復学と休学を繰り返していたかもしれません。
外に出て気晴らしするきっかけを作ってくれた友人に心から感謝しています。
曲を聴きながら、自分と向き合った結果、大学を退学、体調を整えることを決め、お金を出してくれた家族には申し訳なかったけれど、自分と向き合って出した答えなので迷いはありませんでした。
彼女が作る曲には、心をデトックスしてくれる効果があるなと思います。
ライブに行くたびに、心も体も軽くなります。
彼女の活躍をこれからも応援しつつ、私も誰かにとっての「魔法の人」になれるよう努力したいです。
隣の家の解体作業と木の命日
数日前から、隣の空き家の解体作業が行われている。朝8時前からダンプカーは数台出入り。軽油の排気がプンプン漂うため、うちの換気口は、作業が終わるまで閉めている。ショベルカーみたいな、はさみのついた重機が一台。取り壊されていく家。そこまでは、まだ心痛くないけど、一つ残念なことがあう。多分、残念だとセンチメンタルになっているのは、更年期で生理前症候群でメンタルがやられている、この私だけである。それはキンモクセイの木と、梅の木が切られてしまうことだ。キンモクセイの木には、スズメが住み着いていて、毎朝ちゅんちゅん聞こえてきたのだ。スズメだけではなく、メジロにヒヨドリに、冬にはジョウビタキまでやってきて、スズメに追い出されていたのだ。そうそう、オナガもよく来ていたっけ。鳩も、カラスも、ああ、書けばきりがない!とにかく野鳥の憩いの場であった。そして花が咲けば、あのすてきな香りが漂ってきて、それだけでもほっこりしたものだ。そして、梅の木。本日切られると思われるが、昨日の時点で、枝先にすでにいくつかの花が咲いていた。ああ、きられてしまうのか…。私は、樹木の寿命って、切り倒されたら終わりなのかどうか、考えるだけでも切なくなる。なぜなら、人間の勝手でそこに根を張ることになり、大きく成長して、花も満開にさせることができる、立派な梅に成長したわけである。それを人間に当てはめてみたらどうか。ちょうど、働き盛りの40代といったあたりか。これからもまだまだ働きまっせ!という熟練感を出しつつ、吸収していく受け皿もある世代。あの梅の木もそのくらいなのではないだろうか。切ない。それを、チェーンソーで切られてしまうなんて。そこで梅の木の人生、いや、木生が終わるなんて。
ん?ちょっと待って。うちの家も、住む前は誰かの家で、取り壊して建った家田。つまり、うちの家を建てる前にも、庭があって、草木が元気に生えていたはず。
少し目が覚めた。うちの庭にキンカンの木がある。遠い未来に、このキンカンもチェーンソーで切られるのだろうか!?考えたら、終わりが無くなりそうだ。
とにかく、梅の木は明日確認してみよう。
無駄な自意識過剰を直したい
私は自分でも認識しているのですが無駄に自意識過剰な性質があります。
だれも私のことなんか見てないよと分かっているのに、変に人目を意識して気を遣ってしまうのです。
特にそれを意識するのは服装です。
久しぶりに会う知り合いがいたときに前回どんな服装でその人と会ったかを真剣に思い出します。
この知り合いというのは大事な友達でもなければ、どう思われてもはっきり言って関係ない他人レベルの人もです。
そして前回と同じ服装にならないように気をつけて、違う服装で会うようにします。それだけならまだしも、変にその知り合いと会うときに気合いを入れてファッションコーディネートしていると思われたくないので、下は同じだけど上は違うシャツとか、シャツは同じだけど上着は違うとか地味に変化を付けてしまいます。
つまり、そこまで気を遣って無く自然に服を決めてきたけど、服はたくさん持ってるから前回とは被ってないよ感を醸し出すのです。
繰り返しますが、仕事上でちょっと話す人、どうでもいい他人でもそうやって無駄に考えてしまいます。
あと外出先で思い立って好きなブランドの洋服屋に入るときも、まず自分が着ている服を確認します。もしそのブランドの服を着ていたら、店に入るのを止めます。
そうしないと「あ、うちのブランドの服ですね。」とか店員さんに言われてしまいそのブランド大好きな人として接客されてしまい、買わないとなんか気まずいからです。
だから実際はそのブランド大好きでも、違うブランドの服でかつそこまで無頓着に見えないレベルの服を着て店に入り、いくつかあるブランドの選択肢の一つとして見繕っている感を出してしまいます。
コンビニも同じです。いつも同じコンビニで買い物すると、店員さんに買い物傾向や、公共料金の支払いで経済状況までばれてしまうようで気まずいと感じます。なのでちょっと遠くてもいくつかのコンビニをローテーションしたり、支払い、チケット発券関係はなるべく自分の生活圏と違うところで行ったりします。
だれも私のことなんか見てないよと分かっているのですが、やっぱりそうやってしまう無駄な自意識過剰を直したいです。
保育園どうしたらいいのー!
1歳の子供をもつ母親です。
妊娠中もバリバリ働いて、産休に入る日も伸ばして働いて
予定日の半月前まで一生懸命働き、出産して保育園に預けてしっかり復帰の予定をしていたのに、まさか自分が待機児童問題で復帰できなくなるとは思ってませんでした。
1歳クラスは倍率も上がると聞いていたけど、うちは旦那も私もフルタイムの共働きだし、希望の保育園もたくさん出したからどれかひとつくらいは通るだろうと思っていたら、まさかの保留通知が届きました。
復帰できなかったら、どう生活していったらいいのかと思い悩む日々です。
とりあえず、二次調整があるのでもうそれに賭けるしかないと思い、結果を待ちました。
結果の封筒が届きドキドキしながらあけてみると、再び保留通知書が入っていました。
役所に問い合わせたところ、世帯年収が低い人が優先なのでとか言われ、うちもそんなに高くはないのに違う市に住んでる知り合いはうちよりも世帯年収も高いのに普通に通ってて、、どう生活しろと言うんだ!
これからの生活がとても不安で仕方ないです。
育休は2歳までしか延長できないし、退職しなきゃいけなくなるし、、子供を預けられなかったら働きにでたくてもでられないのに、保育園はパートではむり、フルタイムじゃないと預かれないと言われ、認可外の保育園ももういっぱいだし、ほんとむちゃくちゃだなと思いました。
保育園に落ちて仕事復帰できなかった先輩ママさんたちはほんとどう生活していってるのかなと不思議です。
続けてきたお仕事を辞めなくてはいけなくなるのも本当に悲しいです。まあ、子供が一番大切なので仕方ないのはわかるのですが。結果こうなったのも、なにかのご縁だし、最後に結果これでよかったと思えるように、いいように考えるしかないなと思っ てます。
子供と家にいながらでもできる在宅ワーク探さなきゃな。
幼稚園に行くようになれば、いまよりも時間は確保できるだろうから、いまからできることをとりあえずやっていこうと思います。
勉強漬けの春とつまづき
語学に興味を持ち出してはや一年、なかなかまとまった時間が取れない日々でしたがやっとこの春、順調に勉強することが出来ています。学生時代は苦手教科に英語が上がるほど嫌いで苦手な教科でしたが、いざ独学で初めて見ると思いのほか楽しく、なぜ学生時代あんなに困っていたのかと疑問に思います。きっと、先生から課される課題の量や発表に対するストレスが苦手のきっかけで、語学自体は嫌いではなかったのかなぁと今更気づきました。
発音やリスニングは日常生活で行う機会が無いため、ひとまず文法や長文を読む訓練を重ねているのですが、間違っても解説書を読み納得することができるため、ゲーム感覚で勉強することが出来ています。また、その名の通りゲームで勉強できるようなアプリや携帯型ゲームも存在しているため、飽きずに色々な媒体を使用出来ることも続けられる理由です。この春、勉強しているとはいえまだまだ語学力が低い私は、過去の私にもほかの勉強法を試せと伝えたく思います。
初めのうちは特につまづくこともなく、順調に勉強を進めることが出来ていたのですが最近ではつまづくことも増えてきました。それは、スペル間違いや似た綴りの英単語の勘違いです。電車での移動などのスキマ時間を利用して勉強しているため、なかなか自分の手を動かして勉強ができずスペル間違いがとても目立ちます。やはり実際に手を動かしながら、発音しながらの勉強の方が効率がいいとは思いつつもできずにいます。また、綴りが曖昧なことから似た単語の区別がつかないことも問題ですので、早めに手を打ちたいところです。
今までは多言語に対する抵抗感から、海外旅行や文化交流といったものにあまり情味を持っていなかったのですが、改めて勉強を重ねることで少しずつ興味が湧くようになってきました。駅で海外から来た方に道を聞かれた時も、慌てふためくことなく文法は少し怪しいところもありますが、言いたいことを伝えられるようになりました。今後も勉強を積み重ねたいと思います。
変わってしまった友達
10代の頃から仲良かった友達がいて、お泊まりしたり、いろんな所に遊びに行ったり、彼氏紹介したり、20代、30代と一緒に歩んできて、これからもずっと友達でおるんやと思ってた。昨年くらいから、少しずつ変化があって「ん?」と思う事が増えていって。喧嘩もした。話し合いもした。仲直りもした。それでも、どこかなんか引っ掛かる物があって、取り除けんくて。もう1回話し合って大丈夫ってなったけど、けど!けど!最終的にはダメになった。友達関係終了。バイバイ。さよなら。
大好きやったし、思い出もいっぱいあるし、ふたりの歴史もある。家族ぐるみで付き合うようにもなれた。これからもずっと友達やと思ってた。だから、余計に複雑な心境。好きやけど受け入れられなくて。譲れる所もあるけど、何でそんな事を言われないといかんの?って譲れない部分もあって。いろんな感情がぐるぐるする。だめになったのは変わらないし、再構築は無理やし、頭では分かる。分かるのだけど、複雑。悲しい。寂しい。
セルフチューニングって何?それがそんなに大事なの?サイト見せて貰ったけど、めっちゃお金かかるやん!こどもおって、家のローンもあってさ。趣味は自由やし何にお金をかけるかはそこの家庭で決める事なのは重々承知!それでも!それって宗教じゃないの?そこに居る人達は同じ考えで良いかもしれない。大人はある程度自分自身で決められるし責任もおえる。じゃあ、こども達は?価値観とか考え方とか、ひとつに固定しちゃって良いの?心境だよ。
大好きだから考えちゃう。大好きだから心配になる。話聞いててもさ、価値観とか考え方以前の問題じゃない?って思う事が多々あるの。だから、納得出来ないの。親同志は離れたらいいよ。いや、嫌だけど。決定権の無いこども達は、これから先どうなるの?そこのひとつの価値観と考え方の中で育っていくの?それで、すくすく育つの?大丈夫?ねぇ、やっぱり心配になるよ。
初回いくら、とか。個人だといくら、とか。見ちゃったから余計にさ。嫌だよ。戻ってきて欲しいよ。
服飾がテーマの中国ドラマ
私が見て良かったのは中国ドラマのタイトルは「雲衣坊~糸に秘めた恋~」なのです。内容は振羽が一人の男に長楽村の1年間の家賃を渡すのです。残りもくれるから住人を追い出すなと警告をするのです。大家が振羽の言葉に分かったと言うのです。大家の男がなぜあいつらの家賃を肩代わりをするか分からないと聞いてくるのです。振羽が大家にお金を払った拇印を求めるのです。大家はお金ををもらって駱店主は他人に興味がないのになぜ長楽村に関心を持ったか不思議に思ったのです。大家が駱店主の言葉を思い出して鹿主任と言ったからそういうことと気づいてこれで金に困らないと言って大喜びなのです。大家は大勢がいる賭博で店の人が金を持ってきたか聞くのです。隣の客の男性が大家にこいつの金では下着が買えないとバカにするのです。隣の客が大家にどこのお金をかっさらってきたと言って持ち主に脚を折られると言って文句を言うのです。大家が店の店主にちゃんと人からもらったお金と説明をするのです。しかも使い切れないほどあると言うのです。大家は店の店主から賭けていいと言われたら大家はサイコロの大を選択したのです。雲衣坊では蘇逸が緑水が布を取れなくて代わりに取ってあげようとしたら思わず蘇逸がキスをしようとして緑水が照れて逃げるのです。蘇逸はこの気持ちは言葉にできないと一人思ったのです。胤燃は蘇逸に今まで何度花街を通ったと聞くのです。今更純情を装う気持ちに無理があると言って疑うのです。蘇逸が鼓動を感じると胤燃に言って怒って警告するけど緑水を誘惑するなと言われるのです。雲衣坊で蘇逸が胤燃に鹿主任から緑水に乗り換えると聞くのです。絶対緑水だけは譲らないと伝えるのです。胤燃は蘇逸に鹿主任は緑水を気にかけて妹みたいに思ってると言うのです。緑水をもてあそぶ気なら今すぐ諦めるべきなのです。緑水が遊ばれたと知れば鹿主任は悲しむのです。蘇逸が胤燃に鹿主任を傷つけないためと見抜いてるのです。胤燃は蘇逸に親友の助言と話すのです。蘇逸が胤燃が安心してと言うのです。こんな気持ちは初めてで今回は真剣と言い出すのです。胤燃は蘇逸の言葉に寒気がしたのです。喬霊はやっと旦那様が御霊屋から出してくれたと点翠に嬉しそうに頼むのです。服と宝石を用意してと言ったら喬霊の本人が点翠に準備をしてると言い出すのです。点翠が服に対して奥様にご不満と聞いたら喬霊の本人が全て着飽きたと言い出すのです。点翠が奥様が1番お気に召してる服と反論をするのです。この2着は先日作られたものなのです。数回しか着てないのです。喬霊が点翠の言葉で思い出したと言って1か月も服を作ってないのです。喬霊は雲衣坊へ行って鹿主任を呼んでと点翠に頼むのです。点翠が奥様に「はい」と言うのです。緑水と酒児は仲良く2人で歩いてたら裴卓が鹿主任を探してたと言って今日が誕生日で食事の招待に来たと言うのです。酒児は裴さんにもっと早く言ってほしいと残念がるのです。贈り物を用意できなくて申し訳ないのです。裴卓が鹿主任に君と過ごすことが一番の贈り物と言うのです。
夫婦の中をとりもつ猫
私の子供の頃は、気付いたら家に猫がいて、幼い私にとって猫は親友でした。
大人になって一人暮らしを始めると賃貸ではペットは難しく、結婚してからもペットを飼える環境にはなくて、いつか猫を飼う事が私の夢になっていました。
そんな私にチャンスが訪れたのが今から2年前です。
ペット可の住宅に引っ越して落ちつくと、私は主人に言いました「猫を飼おう」と。
主人も私がずっと猫を飼いたがっていたことを知っているので、快く了承してくれました。
飼い猫の名前は「とと」と言います。
ととはペットショップ、動物愛護センターなどを回り、やっと巡り合えた猫です。
念願かなって猫と暮らすことのできた私は、嬉しくてたまりませんでした。
主人はペットと生活をしたことが無かったので、最初こそ戸惑っていたようですが、今では主人も、ととにメロメロです。
ととが自由に行き来できる場所は、LDKと寝室の2部屋で、その他の場所へはいけないようにドアをしっかり占めるのが、私たちの決まりになっています。
ととは、私たちにとてもなついていて、昼間は在宅で仕事をしている私の近くで寝ていますし、夜は主人と私のダブルベッドで共に寝ます。
そして私も外出すると、ととのことが気になってたまらないという多少、共依存的な関係です(笑)
そんなある日、今となっては何の話をしていたのかさえ記憶にありませんが、私たち夫婦は洗面所で言い合いをしていました。
その時、リビングのドアのあたりから「ニャー!ニャー!」と、ととが小さくてか細い声を必死に出していました。
めったに鳴かない、ととの声を聞いた私たちはヒートアップしていた言い合いは止まり、どちらともなく笑顔になりました。
主人が、「ほら、ととが喧嘩はやめなさいって言ってるよ(笑)」と。
その後、不思議なのですが、私たちが言い合いをすることはなくなりました。
喧嘩を取り持ってくれたととは、子供の居ない私たちにとって、かけがえのない「愛娘」です。